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第3回

三輪:なるほど。そしたら今度は、趣向を変えて、相談室の山本さんの方から皆さんにテーマを出していただこうかと思います。よろしくお願いします。

山本:はい、じゃあちょっと聞かせていただきます。新入生で入って来られる学生さんは、これまでだいたい順調にやって来ることができたという方が大半だと思うんです。それは言い換えれば、これまでに何かがうまくいかなかったとか、それこそ勉強がわからなかったという経験を持つことができてこなかったということでもあると思います。大学に入ってから、特に数学なんかで、授業がわからないということにものすごくショックを受けてしまったりすることがあるようです。また、勉強はうまく行ったけれども、大学院に入ってから研究が思い通りに進まなくて、そのことで本当に参ってしまうということがあるように思います。そういう意味で、差支えなければ、先生方がこれまでで一番しんどかったり辛かったりした時期のことや、その時に何が支えになったかということを聞かせていただけるとありがたいかなと思います。

三輪:議論していると、よく、結局ここにいる人達は大学に残っている成功した人たちだけだから、失敗とか挫折とかいうことはなかなかないんじゃないかという話が出たりしますが、多分そうではないだろうというのが、今の山本さんからの話ではないかと思います。

山極:じゃあ僕から言いますと、僕はね、なかなか博士の学位が取れなかったんです。30歳を超えてから学位を取りました。最初に行ったアフリカのフィールドでゴリラをやったんですが、なかなかうまく観察できなかったんです。思うようにデータが取れなくて、これじゃあ自分が立てた質問にきちんと答えた論文を書けない、と思いました。それで、日本学術振興会のアフリカ駐在員に応募して、そっちの方の資格でとにかくアフリカに行って別のフィールドで仕事を始めました。その、別のフィールドというのは、実はもうアメリカ人がやっているフィールドでした。日本人の先輩たちがやっているフィールドに行って先輩たちから教えを乞いながらデータを取って行くというのは比較的易しいんだけども、誰も日本人が居なくて、むしろプライオリティーはアメリカ、イギリスの方にあって、そこで切磋琢磨しながら自分のテーマでデータを取って行くというのはけっこう大変なことでした。でも、とにかく頼み込んでそのフィールドに入らせてもらってフィールドワークを経験した結果、彼らの流儀と日本の流儀がいかに違うか、しかも、フィールドというのはいかに神聖なものであるかというようなことを身を持って知ることになりました。どんな生活をしてたかと言うと、朝起きて夜寝るまでほとんど人間と会わないわけです。欧米の研究者はプライバシーを重んじて、フィールドの研究に打ち込むような雰囲気をきちんと与えてくれる。それぞれの小屋が離れているんですが、ひとつの小屋から他の小屋が見えないようになっていました。週末だけひとつの小屋に集まって、みんなで食事を作りながら、これまで見てきたこと、それからこれまで戦わされてきた論争みたいなものをひっくり返しながら、自分が見てきたことをベースに語り合うわけです。それを2年間やったんだけど、これが最初辛かったです。というのは、英語がなかなかできなかったし、山の中だから論文を読む暇がない。だけど、見たことをベースに自分の言葉で語るということはうちの研究室のやり方だったので慣れていたから、見たことを中心に語り合うのでは負けなかったという気がするんです。そこでいろんな友達を作れて、その後、日本に帰ってきてから学位論文を書くときに随分彼らのサジェスチョンをもらいました。それが財産になって、その後どんな場所でも研究生活も送れるようになりました。そこでくじけていたら、私は多分研究者にはならなかっただろうと思います。でも、データが取れなくても、挫折しても、あきらめずにいろいろとチャレンジしていくと、そんな風に苦労をしたことが逆にプラスになってあとで自分に跳ね返ってくるんだということは、体験の中で覚えました。だから、苦労は買ってでもやるべきだなという気がします。自分のテーマはあきらめてはいけないということも思いました。

森脇:さっきも少し話しましたけど、当初やっていた研究は少しうまく行かなくなったんです。で、新しいことを始めようという時に、ちょうど「一回アメリカにでも行ってきなさい」と言われて適当に推薦状を書かれて、あれよあれよという間になぜかUCLAの助教授になってしまいました。私は、自慢じゃないですけども、山極先生どころじゃなく、英語というものはからっきし勉強してこなかったんです。でも、助教授で行かなきゃいけなかったので、行ったら当然授業をしなさいと言われて「どうすんだよ」ということになりました。日本語が一切通じないところで講義を始めなきゃいけない。日本語で講義をするのでも初めての時はむちゃくちゃ緊張するのに、英語でやって、何か言われたらどうしようかなと思いました。まあ一生懸命やるしかなかったので、とにかく一生懸命やりました。そうすると、一生懸命やってるというのがなんかわかったんでしょうね。そこはアメリカのいいところで、学生さんがけっこうフレンドリーに「お前のVの発音はちょっと変だな」とか教えてくれて、それを適当に真似しながらなんとか言えるようにしたりしました。また、授業が終わったら、学生が質問のために並んでいるんです。廊下に座って、でかい本を一生懸命読んで、「あ!プロフェッサーが来た!」と。それから1時間くらいずーっと質問攻めに遭うんです。つたない英語で一生懸命説明したら、意外とみんなよくやってくれました。個人的なお付き合いも出てきて、子どもが生まれたときに「赤ちゃんが生まれたから、このおもちゃ先生にあげる」とかいうこともあって。日本の学生をアメリカの学生と比べると、そのあたりをちょっと残念に思ったりします。日本人の方がなんか冷めてしまっている感じがします。研究室とかに入ったら別なんですが。アメリカでは、ふつうの授業のふつうの学生が、廊下で会ったら「ハイ、プロフェッサー」って呼んでくれて、にこにこしながら「赤ちゃんは元気?」と言ってくれて「うん、元気だよ」というような会話が自然にできました。
これは何かに挫折したという経験じゃないのかもしれないけれど、環境を変えて、いろんな違った社会を見たことがその後の私にとっては非常にプラスになったと思います。それから、研究という意味においても、そこに自分と同じような研究をしている人はいなかったですが、やっぱりそこでいろんな友達ができたということは大事なことだったと思います。それから、そこで講義をした学生が今は偉くなっていて「お前にあの時にあのことを教えてもらった」と言ってくれたりすることもあります。「え?君に僕、そんなことを教えたんだ」と。だからまあ、ある意味で、そうやって京都から外に出て見ていろんな体験をしたということは、その後の研究生活あるいは人生にとって非常にプラスになっていると思います。新入生に対するメッセージとしては、ちょっと辛いことがあっても、その殻を破っていろんなことに挑戦してみるとまた違った世界が見えてきて、そこでまた自分の違った才能を発見することができると思うので、いろんなことにチャレンジしてみて視野を広くするということが大事だと思います。

三輪:つまり、アメリカに行った時は、研究の方がどんどんうまくいってるっていうことではなかったんですね。

森脇:ちょうどこれから違う分野をしなきゃいけないという時にアメリカに行かなきゃならなくなって。ふつうだったら苦しみながら研究分野を変えるところが、もう生活全体が変っちゃったので、ある意味ではそれは良かったかなと思います。さきほどの答えになってるかどうかはちょっと微妙なとこだけど、お許しください。

寺嶋:私もそんなに答えになるかどうかはわからないですが。大学に入って高校とは全く違う授業が出てきて戸惑ったというよりは、もともと理科がすごく好きだったので趣味感覚で勉強してたという感じで、あんまりそこで悩むことはなかったんです。それで、4回生で物理化学の広田先生の研究室に入って、与えられたテーマが、世界でほとんどやっていない手法を開発するということで、それはけっこう苦労しました。4回生なのでもちろん助手の人と一緒にやっていたんですが、全然何も結果が出なくて、悶々と、でも一生懸命それに向かって努力していました。当時は多分すごく苦しかったと思うんですが、今になってみればいい思い出です。そこでその目標に向かって、ああでもない、こうでもないといろいろ手を広げて勉強したのが、多分後のほうのベースの基礎学力になってるのかなという気がしています。その後はドクターに行ったんですが、修士の時に苦労したおかげかもしれないけれどドクターの研究はすぐに終わっちゃいました。でも、ドクターを2年で取るというのは、今では取れますが当時はすごく難しかった。広田先生はアメリカでプロフェッサーになって日本に帰ってきた先生で、けっこうアメリカの通だったこともあったので、「じゃあここで3年間待つよりはアメリカに行ってきたら」と言われて、ドクターを取る前に普通の学生の身分で向こうに行って、また分野の違う研究をしていました。それでまた1年たたないうちに東北大に呼ばれて、また別の分野に入って研究しました。それで4年後くらいに京大に戻ってきたという感じです。ですから私は、化学の中でもかなり分野を変わった部類だと思います。最初、学生時代は固体の中の分子の励起状態の研究をしていて、アメリカでは、ガス中の孤立分子の電子励起状態の研究をして、東北大で溶液中の化学反応の研究をして、という風にすごく分野を変えて研究して、また京大で違うことをしています。そういったことが可能になったのは、学部学生の時に化学をやるか、物理をやるか、生物をやるかというのですごく悩んでいろいろと手を出してみたのがよかったのかなと思います。
ですから新入生に対して言えば、やっぱり自分が好きなところの一点集中というよりは、ちょっとその周りを広げて、それは「緩やかな専門化」そのものですけど、いろんな分野を勉強するのがいいんじゃないかと思います。あとはバランスですね。

三輪:なるほど。はい。じゃあ、高橋先生。

高橋:私は、学部生の頃は、挫折感や劣等感っていうのはかなり感じた覚えがあります。周りで、できる奴はやっぱりものすごくできますから、こんな奴らと対等にやっていけるのかという気持ちは何度となく抱いた記憶があります。その時それを結局乗り越えたのかどうかはわかりませんが、多分この量子光学という分野に限って言えば自分は頑張れると思いました。それに、一般的な物理だったら優秀な人の方がいい成績を上げるかもしれないけど、特定の分野に絞ってその専門に限ったら自分は対等以上にやってやれるじゃないかと。そういう気持ちになって頑張れたのかなと思います。乗り越えたのかどうかはわからないですけど。それが学部の頃です。大学院生の頃もけっこう苦労しました。特に実験で、自分で問題を抱え込んじゃってあんまり先生にも相談しなかったというような時にはやっぱりなかなかうまく行きませんでした。昔は今より自由っていうかほったらかしというか、自由にやれという面があったので、自分で問題を抱え込んじゃう場合も多かったです。それでうまく行くときはいいんですけど、うまくいかないときはうまくいかなかったです。まあ、そういう経験はあります。結局うまくいかなくて「まあいいや」って別のことをやったというような経験はあるので、今、学生を指導する時は、学生が一人で抱え込んでしまわないように必ず進捗状況を確認してあげるようにしています。当時の自分の苦い経験が指導に生きているかなと思っています。

三輪:はい。ありがとうございました。では、長谷先生、お願いします。

長谷:私は、挫折かどうかはわかりませんが、修士論文を書いた時点で「なんかもう研究はいいや」という気分になりました。嫌なことは忘れるということで良く覚えてはいないんですが、それで、遅ればせながらちょっと就職を探し始めました。でも、大変そうなのでどうしようかと思っているうちにドクターに進んじゃって、いつの間にかドクターも無事に取れて、ということがありました。その人の性格にもよるかと思いますが、いざとなったら「まあいいんじゃない」と開き直るというか、そういう少しおおらかな気持ちでいろんなことに当たって行くと、意外と乗り越えられたりするのかなと思います。もともとすごくおおらかな人に「それでいいんだ」って言ったら、それはまたまずいかなっていう気もしますけど、わりあいそういうのが大事かなという気はします。実験科学は、理論でもそうかもしれませんが、だいたいうまく行かないことが多いので、いちいち悩んだらやってられないっていう感じです。いつの間にか鍛えられるというか、がっかりしてもすぐまた「よし、やるぞ!」みたいにやってないと、やっていけない。でも教えてそうできるものかどうかわからないのでアドバイスっていうことになるのかはわかりません。努めて明るく過ごそうという感じでやっています。

三輪:はい。どうもありがとうございました。まだまだ時間はあるので、今度は授業の経験から、別にアドバイスということじゃなくても何か面白い話があればよろしくお願いします。


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